【コラム】出張予定〜Museo del Violino(ヴァイオリンの博物館)のこと

こんにちは、代表講師の髙倉です。

今月末にイタリアへの出張を予定しているため、この機会に3年前の同じ時期の出張のことを振り返ってみました。

その中から、こちらのコラムを読んで下さっている皆さんにも参考になればと、当時知り得たことの紹介をさせていただきます。

月末の出張は3年に一度の弦楽器製作コンクールや楽器見本市を見てまわることですが、同時にコンクール出品作品展示と隣り合っているMuseo del Violino(ヴァイオリン博物館)を訪問することも、一つの目的です。

この博物館はまだ創設間もなく、10年以上前は、「ストラディヴァリの遺品(道具など)」「クレモア市の名器コレクション」「ストラディヴァリ国際弦楽器製作コンクールの受賞作品」などはそれぞれ市内の別々の場所に展示公開されており、それらの閲覧を希望する人はクレモナの町中をまわらなければなりませんでした。

Museo del Violino として、それらのクレモナ市のコレクションが一堂に会する形で近年収蔵され、便利になったわけです。

博物館内は残念ながら撮影禁止となっているため、中の様子は写真などではお伝えできませんが、3年前は常設展とは別にロシアの所有するコレクションの一部が公開展示されており、間近に見ることができたことも大変勉強になったことも思い出します。

さて、こちらの博物館には何と言ってもストラディヴァリの遺品が展示されて、われわれ製作家の勉強の対象となっているのですが、今回はこの膨大なコレクションの由来をMueso del Violino のキュレーターであるFausto Cacciatori氏の説明を元に紐解いてみたいと思います。

博物館の収蔵品は、寄贈されるまでにいくつかのルートをもっています。
1つ目は、1800年代のクレモナの製作家として知られるEnrico Ceruti の遠縁となったCerani(チェラーニ)氏の寄贈によるもので、この寄贈品群は1903年にリスト化されています。この品数は408点であったとのことです。
また1914年には収蔵品に関する最初の検査が行われた記録が残されています。

その後、1930年にSalabue 伯爵(※アマティ、ストラディヴァリ、グァルネリなどの最初のコレクターとして知られる)から脈々とつながるストラディヴァリの遺品が、最終的にG.Fiorini氏よりクレモナ市に寄贈されます。この時点で寄贈品は1303点を数えます。

そして、今では信じられないことですが、この遺品は、1956年12月6日には当時のクレモナ国際弦楽器製作学校に移され、しばらく学校教材として学校に保管されていた時期があったとのことでした。(当然、当時の学生たちはストラディヴァリの型枠などを使用して製作を行っていたということになるので、なんともうらやましいかぎりです。が同時に学生たちに扱われていたとなるといったい何が起きていたか想像するのも・・・)結果、この時点で収蔵品は1117点を数えています。

遺品の大部分は1972年に修復家としてもよく知られたS.F.Sacconi氏によりカタログ化され、709点を公開展示しました。
また1987年に作られたカタログには710点が掲載されましたが、この間は収蔵品の調査に大きな進展は見られなかったようです。

こうした経緯を専門家が追いかけるのは、様々な形で収蔵品が移動する過程で、遺品がどのように整理され(あるいは排除・紛失され)てきたかを知ることで、現在私たちが目にする博物館の展示品が資料としてどの程度、信頼のおけるものかを測ることができるためです。
また、こうしたことをつぶさに調べていくことで、収集過程で価値がないと見なされたものの中にも、興味深いものが眠っていたことが発見さることもあります。

考古学的調査によって、歴史が完全に解明されるということは難しいものかもしれません。しかし、それでも研究者の方々の地道な調査があるおかげで、私たち弦楽器の製作・修理を行う現場に立つ者には仕事を検証していくうえでの様々なヒントを得ることができます。

月末の出張も、またそうした歴史と調査の一端に改めて触れてきたいと思います。

Print Friendly, PDF & Email