【講師のコラム】弦楽器作りの価値とは
- 2018.06.16
- 講師のコラム
こんにちは。代表講師の髙倉です。
前回、モノ余りの時代においては「価値(価格ではなく)」のないものは1円でも売ることができないというお話をしました。そして、皆さんがいつか弦楽器技術者になったときに演奏家やこれから弦楽器にかかわってみたいと考える方々に提供できる「価値」とは何だろう?ということをぜひ考えてみていただきたいと書きました。また、参考までに私にとっての価値もお話したいと思いました。
ここでタイトルを読み気づかれた方もおられるかもしれませんが、タイトルに「弦楽器の価値」と書かずに「弦楽器作りの価値」と書いたのにはわけがあります。なぜ「弦楽器の価値」ではなく「弦楽器作りの価値」なのか、順を追ってお話してみたいと思います。
前回の繰り返しになりますが、ぜひこれを読んでいただきながら、皆さんご自身も「では自分にとっての価値とはなんだろう?」ということをじっくり考えてみていただければと思います。
さて、私がヴァイオリン職人、弦楽器製作家、修理師になりたいと思ったいちばんのきっかけは、バッハの音楽にありました。J.S.Bach(1685-1750)は、小中学校の音楽の授業では「音楽の父」などという名前で呼ばれていたように思います。音楽の趣味はひとそれぞれですが、バッハが音楽の父かどうかはともかくとして、私は彼の残した音楽はこの先、千年も残っていく音楽だと感じてきました。そのように最初に感じたのは子どものころに習っていたピアノでバッハの練習曲を弾いていた時でした。また、年を経てからも精神的に非常に大変だったときにも自分を支えてくれたのがバッハの音楽であったことから、次第にバッハの音楽に仕える仕事がしたい思うようになりました。私が大変だったときに私を支えてくれた音楽がきっとまだどこかで誰かを支えたり、また音楽を通じての人との素敵な出会いにつながっていくのではないだろうかと思っていることが、私が感じるこの仕事の価値であり、またこの仕事を通じて提供できる価値ではないかと思い、楽器や技術サービスを提供しています。
もう一つの価値は、私に弦楽器製作を教えてくれた亡き師、Luca Primon(ルカ・プリモン)と共感し合ってきた弦楽器作りの素朴な奥深さにあります。ルカがあるとき「(アマティやストラディヴァリなどの※)弦楽器製作を成り立たせた文化は何百年と地球や環境と共存してきた。それがここ50年で私たちは地球を壊そうとしてしまっている。」と話しました。(※アマティ、ストラディヴァリはヴァイオリンを現在の姿として完成させた昔の製作者・名人) 私はそのことに共感し、ルカとともに弦楽器製作に隠されている、もしくは失われてしまった昔の知恵を蘇らせたいと考えて仕事をしてきました。彼とともに山に行き、木を探したり、博物館に行き昔の楽器の調査などを地道にしました。その過程の中で、あるものは見つかり、あるものは手がかりさえつかめず、あるものは少しずつ解明されてましたが、探せば探すほどに昔の人たちのもっていた知恵の深さに驚かされてきました。
地球や環境と共存する生き方がしたいという思いが私にとっての大きな価値で、弦楽器製作の道に入る前の子どものころから感じてきたことでした。たまたまそれが弦楽器製作と重なったのですが、この思いと価値は弦楽器を売ることだけでは提供が難しいと感じてきました。ルカも25年ほどに渡りミラノの学校で教鞭をとりましたが、私自身も「弦楽器作り」を提供することを通して、地球や環境とともに生きてきた昔の人たちの知恵をできるかぎり沢山の方に提供し、共有し、また一緒に探ってみたいと思っています。このように、私は弦楽器製作家ではありますが、「弦楽器作り」そのものを探って引き継いでいくことに「価値」を見出し、その素晴らしさを皆さんと共有していきたいと思っています。これが私が学校という形で仕事をする原動力になっていると言えます。
皆さん自身にとっての「価値」は何でしょうか?弦楽器、もしくは弦楽器の仕事を通じてどのようなことを皆さんが実現されたいと考えているか、ぜひじっくり考えてみてください。人と同じである必要はなく、皆さん自身の経験の中に、日々の生活の中に、皆さんならではの「自分はこれに価値があると思う!」と言えるものが隠されていると思います。
それをぜひ皆さんの基礎に据えてみてください。もしもそれをやらずにただ仕事ができればいいと思うだけでは、最初はよいかもしれませんが、次第に本当に自分がやりたかったことは何だったのだろうと思う日が来ないともかぎりません。また、何より皆さんならでは強みを得て、皆さんでなければできないものを提供するのは難しくなります。もちろん、誰かの価値に共感し、その価値の提供を手伝うということも1つの素晴らしい仕事のあり方です。もしそうであれば私にとっての亡き師がそうであったように、皆さんが本当に共感できる人を探してみてください。皆さんにとっての将来の仕事が、皆さんの価値のコア(核心)につながるものであることを願っています。
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