【講師のコラム】モノ余りの時代と弦楽器の仕事

こんにちは。代表講師の髙倉です。

先日、「AIと弦楽器技術者」のタイトルで、弦楽器技術者の仕事はAIに代替されにくいということについてふれました。今日はもう少し身近なことに戻って、そもそも弦楽器技術者の仕事に需要があるかどうかということをお話したいと思います。

結論としては需要はあると考えているのですが、弦楽器業界の仕事需要を理解するのには①過去の就職実績や傾向を知ることとあわせて、②これからの仕事をどう考えるべきかというポイントを理解しなければならないと思います。今日はその後者を特に取り上げたいと思います。

その前提として、少しまわりくどいかもしれませんが、今は「モノ余りの時代」であるということから話を始めてみます。

まわりを見回してみてもわかるとおり、今の日本の社会はモノであふれています。すでに衣食住という点で言えば、衣類はいくらでもあり、食は廃棄が社会問題となるほどあり、住まいも全国の空き家問題が議論されるような状況になっています。つまり、ことさら何かを買わなくても、何かを求めなくても何でもそろっているというのが日本社会の様相です。もちろん、これは非常に単純な一般論ですが、このような社会情勢の中に弦楽器もあるということをまずは踏まえたいと思います。

さて、モノ余りの時代に、商品が売れたり、サービスが売れるには何が必要でしょうか?

私はそれは、「そこに価値があるかどうか(価格ではなく)」ということだと考えています。逆に言えば、今はモノが余るほどあるので、価値がないものであれば、1円でも、場合によっては0円でもいらないと言われてしまうということです。

では実際に皆さんが弦楽器職人になったとして、弦楽器を作って売っていくことや、買っていただくことはできるのでしょうか?モノ余りの時代に弦楽器や弦楽器の修理などのサービスを買っていただくことはできるのか?という意味ですが、その答えは、先ほどの繰り返しになりますが「それが価値あるものならば」ということになるのではないかと思います。

そして、現代の社会の特徴は、その価値というものが、過去の社会のように楽器をこれから買う人がすでに見出しているものではなく、楽器を作り・直す皆さん自身が「これには価値がある」と確信をもち、そのことを社会や演奏家に伝えることで初めてその姿を現すものだと思います。なぜなら、すでにモノが余っているので、今さらさらにモノを増やすだけでは、誰も見向きをしない可能性が高いからです。

この場合のモノやサービスの価値はこじつけでは意味がありません。皆さん自身が本当に皆さんの仕事を通じて提供されるもの価値があり、素晴らしいと思い、この仕事やこの仕事によって得られる成果を社会に広めていきたいという意欲が根本にあるものでなければならないと思います。そうでなければ、社会にさらにモノを増やすだけになってしまうからです。

「価値」は私が皆さんのために作ってあげることはできません。お互いの考える価値に共感したり、皆さんと一緒になって皆さんならではの価値を考え、一緒にそれを見出す努力はできるかもしれません(それが学校という場です)が、最後にそれを見出すのはやはり皆さん一人一人であろうと思います。私ができるのは皆さんがそれを見出す過程を伴走することだけです。そのため、「モノ余りの社会の中で、弦楽器や弦楽器にまつわるサービスを提供することの自分にとっての意味はどこにあるのか?その価値は何なのだろうか?」ということを、どうかじっくり考えてみてください。

次回、私自身にとっての弦楽器の価値をお話ししたいと思いますが、一つの参考として読んでいただければと思います。皆さんの価値は皆さん自身が見出すべきものです。それにより皆さんならでは仕事のあり方とそのための勉強の仕方も見えてくるのではないかと思います。

 

 

 

 

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